朝早く出かけて、登山口から山頂までまっしぐら。頂上を確認した下山して家路につくだけという登山のイメージは貧困すぎます。小学校の遠足登山なら仕方ありませんが、大人の遠足なのですから、もう少し発想を柔軟にしたいですよね。

まずはなにをおいても縁起を確認するのが大切です。古くから有名な山には必ず縁起が伝えられているもの。縁起を知ることで、地元の歴史との関わりが明らかになってくることもあります。物語として純粋に楽しめる場合も少なくありません。

ただし伝説伝承を疑うなかれ、と強くお願いしたい。伝説が科学的でないと主張してもナンセンスです。科学は少なくとも明治時代以降の通念に過ぎません。伝承には人間の知恵が多く織り込まれているものです。それらを疑っても何も実らないでしょう。

例えば一説に拠れば、高尾山の開山は奈良時代の行基に由来するそうですが、行基がその時代高尾山に登ったというには根拠が弱いそうです。で、その由来を疑って何か得るものはあるでしょうか。何もありはしません。むしろそのくらい古くから伝えられてきたと考える点に大きな意味を見ることができます。

加持祈祷、交通安全が願掛けの中心テーマです。真言宗に所属している以上は加持祈祷であり、人々の心配事の中心に焦点を合わせるのが真言宗のあり方です。真言仏教を柱にして、さまざまな伝承が接ぎ木されているのが特徴でしょう。

それは「力石」・「天狗うちわ」などの縁起物に表れています。古来の信心を加持祈祷などにより、祈願しているそうです。大切なのはそれらの願いが多くの人によって共有されているという事実なのです。

精進料理でお腹を清めるというのも一つの趣向になります。場合によっては精進料理を楽しめるでしょう。精進料理は修行の一環ですので、食事を通じて修行に参加するという意味も持ちます。楽しんで修行になるなら素敵ですよね。

観光地化した周辺地域を見逃さないようにしたい。単に商業主義だと蔑む人もいますが、地元の人たちの活力を肌で感じて力を得る機会になるはずです。それに資本主義社会で商業主義を蔑むのは見当違いです。しっかりと観光地を味わいたいものです。

意外な博物館や美術館が見つかることもあります。都心を外れた場所柄、地価が安くなるためか、小さな博物館を発見することもあります。事前に確認して、時間が合うようであれば訪ねてみたいスポットになるでしょう。

武蔵御嶽山は崇神天皇の時代に遡ります。もはや史実なのかさえも判然とはしません。しかし、人々が御嶽山にお参りしはじめた頃には既に開発されていた状況なのでしょう。ここも歴史の流れを伝承の中に含み持っています。

盗難除け、魔除け、豊作などを祈願するようになっています。昔はキツネ落としなどがあったはずですが、なくなっているようです。時代によってなくなる場合もあるということでしょうか。

神楽などのイベントも企画されているので伝統芸能に触れるチャンスになります。ビジターセンターに立ち寄ってみると、その他のイベントや体験企画の案内もあるので、情報を仕入れておくとよいですね。

近くで立ち寄れる施設があるかもと期待するのが温泉です。温泉を探してみましょう。温泉に入りゆったりと過ごすとリフレッシュは一段階二段階とレベルアップするのではないでしょうか。そこに地酒をという諸氏もいらっしゃるでしょう。

登山に出かけて、そのまま帰ってしまうのはもったいないです。観光地化されている山であれば、その周辺にさまざまなアイデアと人とを引き寄せているはずです。それらもはた山の影響下という意味では山の一部です。さらには季節に応じた変化を楽しみたい。